月読書生猫日記

雑食オタクの色々感想文です

宝塚版「ポーの一族」

 

【公演】宝塚歌劇団(花組)

【主演】明日海りお

【上演】2018年

【原作】萩尾望都

 

【あらすじ/備考】

 

 1972年に「別冊少女コミック」に第1作目を発表以来、少女まんがの枠を超えて幅広い読者を獲得してきた、漫画史上の傑作・萩尾望都の「ポーの一族」が宝塚歌劇に登場する。
永遠に年を取らず生き永らえていくバンパネラポーの一族”。その一族に加わったエドガーが、アランやメリーベルを仲間に加え、哀しみをたたえつつ時空を超えて旅を続けるゴシック・ロマン。同作品をミュージカル化したいと夢見て宝塚歌劇団に入団した小池修一郎が、1985年に「いつか劇化させて欲しい」と申し出て以来30年余り、萩尾望都があらゆる上演希望を断り続けた幻の舞台が遂に実現する。

※「宝塚歌劇団」公式ホームページの作品紹介ページより引用

 https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2018/ponoichizoku/index.html

 

普段はあらすじは自分である程度考えて書くのですが、今回は公式サイトから引用しました。読んだ通りです。

萩尾先生が、他の上演希望を断ってまでこだわってくださった、宝塚ではおなじみ、小池先生の手による舞台化です。

 

私はリアルタイムで読んだ世代ではないのですが、「トーマの心臓」を読んでから萩尾先生の描かれる繊細な美少年と、哀しくて美しい物語の数々の虜になりました。

 

もちろん「ポーの一族」も読了しており、お気に入りのシリーズだったのですが、ある日Twitterをぼーっと見ていてよぎったのが、「ポーの一族」の舞台化に関するツイート。

 

私は普段アニメや漫画を好きな人たちをメインでフォローしているのですが、漫画などを愛する人たちは、今まで散々実写化で痛い目を見ているので、実写化には批判的です。

流行りの役者を使いたいからか、まったく見た目の異なるキャスティングをされてしまう、(口が悪いですが)ただの質の低いコスプレ学芸会になってしまう、なんていうのが最たるもので、他にも設定を変えられてしまう、ストーリーを改変されるなどなど……。

 

そんな漫画ファンたちが、明日海さんと柚香さん演じるエドガーとアランのあの圧倒的なビジュアルを前に、これはすごそうだと認めた時点で、この作品がただものではないことが容易に察せられました。

 

これは観に行かなければ、と宝塚の方の大劇場に行ったのがもう2年も前なんですね。

今でもあのめくるめく美と愛の世界を前にした感動は、今でも忘れられません。

 

一緒に行った母はそのまま、学生時代にハマっていたことがあるという宝塚への熱が再燃、ちょくちょく劇場に足を運ぶようになりました。

私もついて行ったりするので、私と宝塚へのご縁をつないでくれた大切な作品でもあります。

気合い入れすぎて長文になってしまいましたが、詳しくは続きからどうぞ。

 

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ポーの一族('18年花組・東京・千秋楽)

ポーの一族('18年花組・東京・千秋楽)

  • 発売日: 2019/12/01
  • メディア: Prime Video
 

 まずはPrime Videoの方もリンク貼っておきます。

さっきとサムネ違うんですけど、すごいですよね……これは360度どこから見ても理想の実写化……。

Prime Videoは、何故かこの記事を書いている今現在は再生出来なくなっているのですが、多分また再開するでしょう。

きっと。多分。

 

さて、あらすじとしては、これは永遠の時を生きるバンパネラ(吸血鬼、ドラキュラの物語を思い出してください)のポーの一族の物語です。

エドガーも、見た目は少年ですが、もうずいぶんと長い間生きています。

永遠に生きるとは老衰で死んだりしないというだけで、彼らだって殺されれば死にます。

そして、人間は自分たちと異なる生き物に敏感です。

バレれば殺されます。

永遠に年を取らないからこそ、あの子いつまでも成長しないね、なんて理由でバレないように、どこかに定住することは出来ず、しばらく暮らしたら次の土地に引っ越す、という生活を送っています。

原作は、その引っ越した先々で出会った人たちとの物語をメインとした短編連作とお考えください。

 

今回の公演は、エドガーが一族に加わるまでの話(「メリーベルと銀のばら」)と、エドガーがアランと出会う話(「ポーの一族」)をメインに、他からも要素や登場人物の名前だけ、少しずつ借りてきているような構成になっています。

 

舞台の方ですが、本当に原作愛に満ちていました。

まずビジュアルからして完璧なんですよ。

ポーの一族」に限らず、萩尾先生の描かれる少年って、不完全さや未熟さも含めて本当に美の化身という感じなんです。

もしも宝塚以外で舞台化するとなると、男性キャラである以上、エドガーやアランも男性が演じることになったでしょう。

こういう言い方をしたら宝塚ファンの方から怒られてしまうかもしれませんが、普段から男性役を演じることにかけてきた女性であるタカラジェンヌだからこそ、萩尾先生の描く非実在的な少年を演じることが出来たと考えています。

男性が演じていたら、本当にどこかにいそうな少年になってしまってしっくりこなかったでしょう。

トップスターである明日海さんの男役として培ってきた経験と技術が集約された結果、あの理想のエドガーが生まれたと考えています。

 

そしてそれはアランも同じです。

シーラといいメリーベルといい、当時か、その後にトップ(娘役トップ)になられた方でメイン級の役は構成されているので、本当に豪華な舞台ですよね。

生で見られて本当に良かった、幸運でした。

 

キャスティングについても少し言及するなら、「ポーの一族」は物語上、エドガーにとってのヒロインと呼べるキャラってメリーベルになると思うんです。

憧れの女性という意味ならシーラもヒロインになれるのでしょうが、物語の中でエドガーの心を大きく占める女性は、最終的にはシーラではなく、妹であるメリーベルです。

そして、宝塚の舞台って、トップの男役と娘役が対になるイメージがあるのですが、シーラはあくまでも義理の母にあたり、対となる存在ではありません。

それでもシーラがきらきらと輝いて見えたのは、仙名さんの凛としたたたずまいや、美しい歌声があったからだと思います。

また、華さんはパンフレットでの扱いを見る限り大抜擢だったのかなと当時は思っていましたが、アランの柚香さんも、メリーベルも、はいからさんの成功を経ての納得のキャスティングだったのかなと今となっては思います。

この二人も準主役と言える役ですが、まんま原作から飛び出してきたようなイメージでしたよね。

素晴らしかったです。

 

そして脚本の方では、重要な部分は忠実に再現されていると感じました。

原作と異なるのは、大きいところではブラヴァツキーの存在でしょうか。

彼女に関しては実在の人物、ブラヴァツキー夫人をモデルにしたオリジナルキャラクターで、原作だとちょい役だったキャラクターに光を当て、分かりやすくフラグを立てていく役だと思っています。

原作の通りの出番ですと、本当に数人しか名ありキャラが出せないですもんね……。

結果、フラグが分かりやすすぎて、絶対この後にこういう展開が来るんだな、と分かってしまうというところはありましたが、あんなに強烈なキャラクターを溶け込ませられたのは、原作に対するリスペクトがあったからだと考えています。

全部見終わった後で改めて原作を見返してみると、結構オリジナル要素は多いんです。

基本的には原作至上主義で、改変等が許せないタイプの私が、不思議とこちらの公演でそのような拒絶反応が出なかったのは、同じく作品を愛する人によって手掛けられた演出だからではないかと思っています。

同じような立場として扱ってしまうのは大変無礼かと思いますが、個人的にはそう感じました。

 

原作と違う部分と言えば、あまり救いのない物語を、悲劇の中でもロマンチックに描けるのが宝塚なのでは、と雪組公演の「ファントム」の映像を最近になって見て思ったのですが、「ポーの一族」でも同じ傾向は見られましたね。

原作でも舞台でも良いので最後までご覧になった方は、シーラとポーツネル男爵がどうなるのかはご存じかと思うのですが、あのシーンの描かれ方が原作と舞台では異なります。

以下本編ラスト付近のネタバレ含みますので、未視聴の方はご注意ください。

 

宝塚版の方がより、男爵夫妻の愛が強調されていたように感じます。

もちろん原作でも二人はしっかり愛し合っていたのですが、一緒に消滅するという訳ではないですし、男爵に至っては事故ですし。

原作の男爵の最期も世の無常感がにじみ出ていて好きなのですが、愛し合いながら二人一緒に消滅した方が、多少の救いはあるように感じますよね……結局、全てを失い、ただ一人残されたエドガーがつらいのに変わりはないですが。

そりゃ、アランを連れて行きたくなるでしょう。

ひとりではさびしすぎますもんね。

そして何のいたずらか、ある種奇跡的なタイミングで再び出会ってしまったがために、アランもバンパネラの一族に……。

 

宝塚版は、エドガーとアランが二人でこの後も生きていくであろうことが示唆される部分で終わります。

明るくはしゃぐ人間の生徒たちに紛れる二人に、何となく、こちらも明るい気持ちになります。

実際に劇場で観た際は、あとは本編をイメージした華やかな歌と踊りのパートが始まり、キラキラとしたオーラに圧巻され、気持ち良く帰れました。

(フィナーレ、と呼ぶのだと聞いたことがありますが、あまり詳しくないのでこのあたりは詳しい方に任せます)

 

もしも原作を読みたいな、と思った方がいらっしゃいましたら、ぜひ文庫版の方をおすすめします。

なんと、1巻の巻末についているエッセイ、小池先生なんですよ。

しかも、今回の「ポーの一族」が発表される前に刊行されています。

何回もやろうと考えられていたのであろうことが、エッセイからうかがえます。

そして、明日海りおさんが、どれだけ待ち望まれた人材であったかも。

紙も質が良いし、3巻に収まっていて非常にコンパクトなので、ぜひ文庫版で最後まで読んでください。

彼らの長い長い旅の行く末がどこに行きつくのか、原作ファンとしては、宝塚版のその向こうを乗り越えて、ぜひ読んでいただきたいです。

そして許されるなら語り合いたい……難しいけれど……。

 

 

そして、私も宝塚で推しが出来ました。

宝塚では推しとは呼ばないそうですね。

ご贔屓と言うのでしょうか。

水美舞斗さん、とても理想のメガネ男子すぎて目が離せなかったです……なんというイケメン。

 

ポーの一族」に関する感想は以上です。

以下雑記。

 

ポーの一族」以降、機会があれば花組に限らず、公演を生で観たり、DVDやスカイステージで見たりしているのですが、このご時世なので「はいからさんが通る」は、私が取った日程は中止になってしまいました。

少女漫画原作の舞台のクオリティの高さは約束されているので、何としてでも観に行きたかったなぁ……。

脱線しましたが、個人的にはとても大切な話だったので、最後に少し言及させていただきました。 

皆さまも体調にはお気をつけて。

数年後にこの記事を読んで、そんなこともあったなぁと笑える日が来ることを願っています。